第2回 ウズメ誕生(河野功)

2012年の秋のある日、私は、月の縦孔「春山ホール」の発見者として名高い春山純一さんと、とある宇宙科学の研究所の食堂のテーブルで、向かい合って座っていました。

「月の縦孔探査プロジェクトをやりたんですけど、どうやったらできますかねぇ?」
「河野さんやってもらえませんか?」

SELENE「かぐや」の観測データから、春山さんが月の縦孔を発見したのは、その3年前、発見の直後から聞いており、私は「SELENE最大の科学的成果」と、すぐにわかりましたので、自身が参加する月の表面探査研究会などでは、「SELENEの次の月面探査機の着陸地点は、縦孔にしましょう!」と主張していましたが、月の縦孔探査計画の立上げの要請がまさか自分に降って来るとは思っていませんでした。

当時の私は、ETS-VII「おりひめ」「ひこぼし」のランデブードッキング技術の開発に成功し、その制御精度をさらに高めて、フォーメーションフライト(FF)技術の研究などを行っておりました。月面探査には興味はありましたが、当時の主たる研究テーマではありませんでした。
しかし、春山さんがSELENEの研究を、私がETS-VIIと後続ミッションの研究をしていた頃から、「次は一緒に月探査をやりましょう!」と話していましたので、「とうとう約束を果たす時が来たか!」と思いました。

どうすれば、月の縦孔探査、なんて難しい事ができるか?
と考えたら、頭の中に、縦孔の壁を縄ばしごで降りる人型ロボットのイメージが浮かび上がって来ました。
(春山さんの研究室に貼ってあったポスターが潜在意識の中に残っていたのかも知れません)

「そうだ、日本が世界に誇る人型ロボットの技術を使って、縦孔探査をしよう!」

次は、プロジェクトの名前を考えました。
このプロジェクトの開始は2012年-古事記が書かれて1300年紀とか思っていたら、「ヴィーナス誕生」の絵のように月の女神様が縦孔から現れて、真っ暗だった地下空洞に光を当てる姿が浮かびました。
そして、その女神様が、天岩戸隠れの時に踊りを踊って天照大神に天岩戸からお出まし頂き、地上に光を取り戻した女神様、天宇受賣命(アメノウズメノミコト)とイメージが重なりました。

「そうだ『ウズメ』にしよう!」

一緒に名前を考えていた某N田司令も両手をたたいて大喜びで賛成。

そうと決まれば、UZUMEを略語にするために、元の名前”Unprecedented Zipangu Underworld of the Moon Exploration” (空前無比の日本の月地下世界探査)を考えました。
“Z”をZipanguにしたのがGoodで、これを含めてほとんど春山さんのアイデアです。
(私が見つけたのは、“U”のUnprecedentedだけです。)
こうして「ウズメ」が誕生しました。

河野功